心身症と目

 

Q.目の病気にも心身症が原因になっているものがあると聞きましたが,どういう病気ですか

心身症とか心因性○○などといった病名を最近よく耳にするようになりました。腹痛,頭痛,嘔吐などの症状で頻回に保健室をおとずれる子どもたち。内科で診てもらっても,特に病気はなさそう・・・という子どもに遭遇されたことはないでしょうか。眼科領域においても,近年“眼心身症”といわれるものが増加している傾向にあるようです。日本精神身体医学会,医学対策委員会の狭義の心身症の定義は,「身体症状を主とするが,その診断や治療に,心理的因子についての配慮が特に重要な意味を持つ病態」としています。つまり,何らかの身体症状を持つが,その原因を器質的疾患に認めることができず,心理的な問題が大きく関与しているもの,と考えられます。眼心身症の主な症状としては,視力障害,眼精疲労,眼瞼けいれん,チック,羞明(まぶしさ),複視,眼球運動障害,斜視,眼球振盪など,多くのものがみられます。おとなでは,そのなかでも眼精疲労や羞明などが多く,子どもでは視力障害やチックなどが多く現われてきます。視力障害は一般的に,裸眼視力で矯正でき,0.4〜0.7と両眼とも似かよっており,矯正しようとしても矯正不能か,矯正でき改善されたとしても1〜2段階といったケースが多く,近見視力も低下していることがあります。その他,視野異常(求心狭窄),暗順応障害,角膜知覚低下などを合併することもあります。年齢は7歳〜11蔵にピークを持ち,特に女子に多いのが特徴的です。発症の環境要因として,学校,家庭,最近では塾などもあげられているようですが,子どもを取り巻く生活環境すべてに目を向ける必要があると思います。

 

Q.心身症はどのように発生するのでしょうか

心身症の発生機序は,中川が左図のようにまとめています。子どもの生まれつきの気質に,心的外傷,分離体験,親子の愛情関係,しつけ,教育などの幼少時からの生活体験が備わってパーソナリティが形成されますが,家庭,学校などの社会生活におけるストレスが作用すると,不安,緊張,抑うつ,転換ヒステリーなどの心理反応を引き起こし,身体的に自律神経系,内分泌系の失調をまねき,それに身体的素因などが加わり心身症が発生すると考えられています。誰でも大なり小なりさまざまなストレスにさらされているわけですが,子ビもたちはその葛藤のなかから,いくつもの適応失敗をくりかえしていくなかで成長を続け,強靱な心を持った成人になっていくのです。しかし,パーソナリティ,情緒の発達が未分化で未熟な場合などに,ときとしてそのストレスに打ち克つことができず,病気に逃げ込むことによって安定をはかろうとするのでしょう。

 

Q.学校で,視力障害が心因性かどうかを判別できますか

心因性視力障害の診断法として,私のところでは次の図のようにプログラムを立てています。まず,屈折異常や他の器質的疾患がないかどうかを十分に検査し,すべて否定されたものに対して,母子別々に面接を行ない,発症の引き金と経過,生育史,パーソナリティ,家庭環境,学校での状況などできるだけ詳細にその背景もうかがい,カウンセリングを通しての治療を試みています。学校では,視力障害の子どもをすぐに心因性かどうか判別することは困難だと思います。まず限科医に診察を受け,屈折異常や器質的疾患がまったく考えられないという場合に心因性を考慮してみるといいでしょう。しかし,腹痛,頭痛,下痢をくり返すなどの他の心身症的症状があったり,友人関係や進路問題などで悩んでいる場合で,急に視力障害をきたした場合は,眼科においても,心因性疾患として確定診断する際に参考になりますので,連絡していただくと助かります。

 

 

 Q.眼心身症の具体例について教えてください

〔症例1 複視・・・私はいい子〕

患者:6歳女子(小1)

家族:6人・・・両親,祖母,兄(中1),姉(小5),本人

症状:複視・・・だぶって二重に見えると訴える。眼前1mで指を1本出すと「2本」5本出すと「10本」と即答。

小学校の運動会でリレーの選手に選ばれなかった直後から発症。幼稚園まではずっとリレーの選手でした。家では,兄や姉を叱っても,特に叱ることが見あたらない,しっかりしたよい子です。兄や姉より「よい子」であり続けることによって,母親をより身近なものとして一体化しており,幼稚園までは花形であった彼女が,小学校では選手になれなかったことが直接ストレスとなって発症したものと考えられました。過剰適応を取り除き,素直に感情表現できるように遊戯療法を行ない,遊びの中でカウンセラーに「学校はイヤ」「お姉ちゃん大嫌い」というようになり,次第に母親にもストレートに甘えを出すようになりました。その結果叱られる素材も増えてきました。同時に,複視の訴えは消失してきました。

〔症例2 チック・・・本当にお母さんと一緒に寝ていいの?〕

患者:5歳男子

家族:5人・・・両親,祖父,本人,弟(4歳)

症状:強い瞬目(まばたき)

幼稚園で鼓笛隊の練習が始まり,「うまくできない」と言い出した頃より発症。これまでも運動会などがあるとチックがでていましたが,今回のような強い瞬目ははじめてです。面接時,非常に落ちつきがなく会話も人の顔を見ず,どこか遠くのもう一人の自分と話しているという印象を受けました。生後すぐに夫の父と同居。この舅との折合いがうまくいかず,育児の主導権は舅の手にあり,そのため母親はパートなどに出ていました。弟の育児を母親が行なっていくなかで,どうも長男の様子がおかしいと思い始めました。母子関係成立の基盤である0〜3歳までの接触がうすく,情愛の触れ合い,信頼関係を欠き,情緒の発達は未分化,未熟で不安定なため,小さな社会的困難でチック症状を現わすのではないかと考えられました。まず,十分に母親とスキンシップをとり,感情表現が素直にできるように配慮し,チックについてはけっして注意しないように指示しました。その日から母親の横で寝るようになった彼は,「ぼく,本当にお母さんと一緒に寝ていいの?」と,何度も母親の手を握りしめたということでした。その後徐々にチック症状は消えていきました。

チックは一つの癖のようなもので,周囲の者があれこれ注意するとおもしろがって続けているうちに習慣になってしまうこともあります。また,弟か妹が生まれ,それまで一身に浴びていた注目が一転してしまったときなどにもよく発症します。チックそのものは注意しないで,兄,姉の自覚を強制せず,赤ちゃんの世話をする前後にスキンシップを通して言葉をかけたりすると安心して,頼もしいお兄ちゃんやお姉ちゃんになってくれます。

 

〔症例3 視力障害・・・入試に落ちたら北海道へ行く〕

患者:11歳女子(小6)

家族:4人・・・両親,本人,弟(小3)

症状:視力障害・・・裸眼視力右0.7左0.7 矯正不能

   視野狭窄・・・求心狭窄

秋の学校の視力検査で視力低下を指摘され来院。諸検査の結果,屈折異常その他の器質的異常は認められませんでした。有名中学への進学を希望し,連日のように塾通いを続けていたため,カウンセリングを試みるも中断。2カ月後,腹痛,下痢をくり返し入院。内科的にも異常は認められず,数週間で退院。本格的にカウンセリングを開始しました。

「もし,入試に失敗したら,誰も知らない北海道へ行きたい」とつぶやき,一時期父親の蒸発などで苦労して育ててくれた母親のためにも何とか合格しようと努力し,また学校においてはみんなに「無視される」といういじめをうけていたらしく,内外ともに心休まることなくストレスを受けていたことが予想されました。母親にも誰にも頼れず,甘えられない・・・依存欲求が満たされず,強い不安にさらされ,病気への逃避しかできなかった弱く傷ついた彼女を,まるごと受けとめるよう母親に指導しカウンセリングも進めました。次第にいろいろな心の葛藤をさらけだすようになり,有名中学にも合格しましたが,「自分の実力が確かめられたからそれでいい」と公立中学へ進学しました。その頃から視力も1.0に回復しました。

 

〔症例4 視力障害・・・私もうすぐ心臓病で死ぬの〕

患者:11歳女子(小6)

家族:5人・・・両親,祖母,本人,弟(小1)

症状:裸眼視力両眼とも0.1〜0.7まで検査のたびに変動。矯正不能。日によって1〜2段階アップ。

三年前より視力低下。発症の心あたりは特にないということでした。父親は,彼女が3歳のときに交通事故に遭い,後遺症が残り無機。母親が一家の担い手となったため祖母に育てられました。一年前に弟を連れて家出を企てたり,学校でも友人関係がうまくいかず問題の多い様子でした。カウンセリングにおいては,人なつつこくすぐに依存的態度を示すようになりましたが,「私もうすぐ心臓病で死ぬの」と,過呼吸(呼吸困穀症状)を見せたり,足をひきずって歩いたり,日常生活でうそが多くなるなどヒステリー的症状を訴えていました。そのため,母親に納得してもらい精神科医に対診させ経過観察を行ないました。しかし,母親が仕事が忙しくなかなか面接ができないため,学校での様子を尋ねようと養護教諭に連絡を取ったところ,母親の気持ちを害してしまい来院中断となりました。

四症例において共通していえることは,ささいなことが発症の引き金となってはいますが,その背後には生後からの家庭環境,母子関係が強く影響しているということです。目の前の問題でなく,その全体像を少しでも大きく広げることが解決の糸口になることを示唆しているといえましょう。カウンセリングにおいては,共感的理解を大切にし,そのなかで子どもや母親の自己洞察を深めさせ,自己治癒力を高める援助をします。カウンセリングに入る前には緊張し,表情も硬かった子どもたちも,カウンセリングが進むにつれ,利害関係のない新しい人間関係に安らぎを感じるかのように,自由にのびのびと自分を表現できるようになってきます。

症例4での養護教諭との連携ミスは,多少私を臆病にさせましたが,やはり第一線でそういった調整的役割ができるのは養護教諭をおいてほかにないのではないかと痛感しています。社会生活を営むということは,どんな社会であれそれなりに適応していくということでしょう。しかし,現代の社会の情勢を考えれば,適応障害を起こしても不思議ではないのかもしれません。もちろん,発達過程にある純真な子どもたちも例外ではありません。そういった点で,今後子どもたちの「心の病気」の第一発見者として,また身近な治療者として,養護教諭の方々の役割は,ますます大きくなるものと考えます。

 

          

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